世界に石を投げる
世の中に一石を投じる行為は、それがどんな種類のものであっても、いたずら小僧の投げる石とは訳がちがう。投げてから、走って逃げるというしろものではない。石なら水しぶきを浴びるし、打上げ花火なら、自ら火の粉をかぶることになりかねない。もっと攻撃的な戦略ならば、まさに返り血をこうむることになるだろう。建築界にあっても、世界同時革命のような変革の可能性に、不透明な繁りの見えだした頃から、小異を捨てて、論旨をそろえ、共同宣言を採択する方法が、必ずしも有効ではないと、誰しもが思うようになっている。今日の建築的アピールのしかたは、同じ船の上に乗って、共通の文案を練るやり方とは根本的に異なっている。まさにあらぬ方から、突如として一石を投じる類のものになってきた。ここでは多数派による組織力は、ほとんど意味をなさない。むしろ趣旨を的確に掌握している、精鋭たちの連携プレーによって、ことは速やかに敢行される。
一夜のジャム・セッションのように
一夜、とある神社の境内に参集し、翌朝にはすべての仕掛けが終っているように時にそれは偶発的なジャム・セッションのように。ここではネットワークは、それが直接的であるか間接的であるかを問わず、非常に重要なキーワードとなる。自然発生的にものごとが進むわけではないから、必ずそれを仕掛けた元締がいる。その意図を各人が自分のものとして理解し、相乗的に効果を高めながら、運用できるように、元締は教育的な側面を合わせ持たざるを得ない。多くはその身のまわりに教育、実践の場を擁している。組とはそれを指す。